宝ものは君たちの中にある

コラム『もうすぐ節分 「鬼はそと」からのスイッチラボ的「鬼」の考察』

2024年2月1日掲載

こんにちは、MYスイッチのスイッチラボです。

早いモノで今日から2月。もうすぐ2月3日の節分せつぶんがやってきます。節分と言えば、そう、豆まきですよね。「鬼はそと〜、福はうち〜」という掛け声とともに、勢いよく豆をまくのが古くからの日本のならわしですが、ふと立ち止まって考えてみると、ツッコミどころ満載ですよね。

なぜ豆をまくのか? なぜ鬼は豆をまくと逃げるのか? そもそも「鬼」ってなんなのか?

ひとたび疑問に思ったら、突き詰めなければ気が済まないのがスイッチラボです。節分の行事も、後世に伝えたい大切な日本文化のひとつです。子供たちに「ねぇねぇ、鬼って誰なの?」と素朴な質問を投げられても困らないように、この機会に「節分を知る」ところから一緒にはじめてみませんか?

まずは「節分」の意味から

節を分けると書いて節分。よく「人生の節目」とか「だいじな節目」などと言いますが、そもそも節目とは、ひとつの区切りであり、新たな段階へ進む第一歩という意味があります。

そして季節にも節目が4つあります。「立春りっしゅん」「立夏りっか」「立秋りっしゅう」「立冬りっとう」の4つです。現代の日本では、国立天文台の観測によって、「太陽黄経が315度になった瞬間が属する日」を立春としています。以下、国立天文台のホームページから4つの節目を抜粋しました。

名称太陽黄経中央標準時
立春315度 2月04日17時27分
立夏45度5月05日9時10分
立秋135度 8月07日9時09分
立冬225度11月07日7時20分

この4つの節目で円を4つに分けて、それぞれを「春夏秋冬」とします。春は2、3、4月夏は5、6、7月、秋は8、9、10月、冬は11、12、1月です。今の気候とは少しズレていますが、昔の日本の季節感としてとらえてください。

その春夏秋冬を、さらに6つずつに分けて1年を24等分したものを「二十四にじゅうし節気せっき」といいます。これが日本に伝わったのは、奈良時代だと言われていますが、季節とともに生きるための天文カレンダー(暦:こよみ)として、日本の農耕や文化を今も支え続けています。

はい。1年には4つの節目がある。ここまではよろしいですか? では、いよいよ「節分」の意味に迫ります。

ズバリ節分とは、「節目の前日」のことです。冬から春へ、春から夏へ・・・というように、季節が変わる節目を分ける日、つまり「明日から春になるよ〜」という日を「節分」と呼ぶわけです。

ということは、1年に4回節分はあるのですが、立春前の節分、2月3日だけがやけに有名ですよね。といいますか、他に3つも節分があることを知らない人の方が圧倒的に多いと思います。

なぜに2月3日の節分が特別扱いされているのかというと、諸説ありますが、そのひとつは江戸時代までは「立春(2月4日)=お正月」だったことがあげれらます。

「え? お正月って1月1日じゃないの?」「4日始まりって、ちょっと中途半端じゃない?」と、驚かれるかと思いますが、1月1日が新年の始まりになったのは実は明治時代から。正確には1873年に今のカレンダー(グレゴリオ暦)を明治政府が導入したことで、新年が2月4日から1月1日に変更されました。お正月が変わるなんて・・・と、今ではちょっと想像しにくいですが、当時の人はさぞ、めんくらったことでしょうね。

制度としては変わりましたが、なにせ奈良時代から脈々と続いてきた日本の大切な風習です。今では後世に残したい大切な日本文化のひとつとして「節分の行事=豆まき」を行うとともに、みんなが待ち望んだ春の到来を祝い、邪気(鬼)を払い、福を呼び込むためにも、盛大に豆まきの儀式が行われているのです。

なぜ「豆」をまくの?

節分がわかったお次は、「なぜ豆をまくのか?」に迫ってみたいと思います。稲作が主である日本なのに、なぜお米ではなく豆をまくのか? まずスイッチラボがひっかかったのはそこなのですが、農林水産省のページには「米と同じエネルギー源で霊力を持つとされる豆をまくことで、病や災いを祓い、更にその豆を食べることで力をいただけると考えられたからです」とありました。なるほど、豆には霊力があると言われているんですね。

さらに調べを進めていくと、昔々は米・麦・ひえ・あわ・大豆などの五穀をまいたり、豆と一緒にお餅、地方によっては塩や砂などもまいて清めていた、という説もありました。

また、鬼を追い払うには大きな音を出すと良いと言われているところから、ぶつけると音が出やすい豆が重宝されたという説も。

いろいろとユニークな理由が見つかる中、スイッチラボが「なるほど!」と思ったのが、「豆=魔目(まめ)」説です。鬼の目に豆をぶつけると、魔が滅する(まめつする)、すなわち鬼をやっつけられる!というものです。

さらに、豆まきには「炒り豆(いりまめ:炒った大豆のこと)」が使われますが、「炒る=(鬼を)射る」という意味もあるとか。ちょっと語呂合わせ的なところも、日本ならではのトンチが効いていていいですよね。

そしてもうひとつ、なるほど〜と納得したのが、生の大豆だと鬼退治した後に放置しておくと、うっかり芽が出て育ってしまったら縁起が悪いので、放置していても絶対に芽が出ない炒り豆を使っているという説です。豆一つとってみても、なかなかに奥が深いですね。

他にも大豆ではなく落花生をまく地域もあるとか。この機会に、自分のルーツを辿り、生まれ故郷の風習を、ご両親はもちろん、おじいさんおばあさんに聞いてみるのも楽しい学びになりますね。

そもそも「鬼」とはなんなのか?

さて、いよいよ本題、「鬼」の正体に迫ってみたいと思います。

今は『鬼滅の刃』の大ヒットのおかげで、「鬼」をイメージしやすくなったように思いますが、ひと昔前までは、「桃太郎」の鬼退治のように、わかりやすい悪役として描かれていました。中には同じ民話でも「泣いた赤鬼」のように、心優しく涙を誘う鬼もおりますが、かなりの少数派ですね。

絵にすると、頭からはツノが生えていて、鋭いキバがあって、ギョロッとした目をしていて、大きな体で筋肉ムキムキ、トラのパンツをはいていて、手には金棒を持っている・・・かどうかは、物語によりますが(笑)、ツノとキバは鬼の共通イメージだと思います。

実際にそんな生物がいたのかどうかは、今注目の「AI」に聞いてもわかりませんが、日本に限らず世界中の神話や民話などにも、鬼のような存在が描かれているところから、民族や世代を超えて人々の中には同じような感覚があることは間違いなさそうです。

鬼は「怖いもの」「邪悪なもの」「災いを呼ぶもの」の象徴として、人々が恐れ、忌み嫌うものとして描かれてきました。わかりやすいところでいえばカミナリ様や地獄の閻魔様とその子分たちでしょうか。

もっと広い目で見てみると、自然災害、飢饉、貧困、病気、人の恨み、怒り、深い悲しみといったマイナスの思い(念)、それらがまとまって大きく育ってしまった悪霊など、目に見えない不安や恐怖を総じて「鬼」として捉えていました。

かなり大胆に言ってしまえば、妖怪も鬼。お化けも鬼。幽霊も鬼。暗闇も鬼。気配も鬼。ようするに「なんだか知らないけど怖い」「得体が知れない」「気持ち悪い」ものはすべて「鬼」になるのです。

鬼の効能 〜なぜ鬼が必要なのか?〜

鬼の正体はわかった。ではなぜ、今も昔も人は鬼を作り出しているのでしょうか?

それは「ビジュアル化」というひとつの戦い方であると、スイッチラボは考えます。

人間にとって最も怖いのは、見えない敵と戦うこと。エイリアンだって、プレデターだって(たとえが古くてすいません)、何者かわからないものに襲われるから、恐怖が倍増していくのです。得体の知れないものに取り憑かれる、追いかけられるなんて、ちょっと想像しただけでも怖いですよね。

でも、「相手は鬼だ」と形を与え、対象をハッキリさせてしまえば、「あ、鬼なのね」と、自分の中で納得できる部分ができてくると思います。すると、戦い方や攻略法も具体的に考えていけますよね。大きな鬼でもアキレス腱は弱いはず、とか、まずは目をつぶして動きを封じる作戦でいこう、とか。

得体の知れないものを可視化(見える化)する。これは昔の人が、恐怖を乗り越えるために生み出した、とんでもなく素晴らしい「生きるための知恵」です。だからこそ鬼の存在を、豆まきなどの行事や、桃太郎のような物語の中だけの話で終わらせてしまうのは、とてももったいないことだと、スイッチラボは思うのです。今こそ、この現代社会においてこそ、鬼の存在を活用しない手はないと!!

たとえば、受験にまつわる不安。いろいろありますよね。「本番で失敗してしまうのでは?」

「問題が全然解けないのでは?」「私にはムリ」などなど、考えたら怖くてたまらなくなることがたくさんあると思います。

でも、そんなときこそ相手を「小さな鬼」だと考えてみるのです。小さい鬼ですから、ピンと指で弾けば吹き飛んでしまうでしょうし、ワーワー騒いだら、テープで口をぺたっとふさぐことも簡単です。

「想像の産物」という言葉があるように、鬼はまさに想像から生まれます。ベースが想像なんですから、キャラクター設定も自由自在。相手を細かく設定し分析し、把握すればするほど、「どうすれば相手を倒せるか」を考えることができるのです。

昔の人も怖いからこそ鬼を作り、鬼と戦い、鬼を退治することで、「やった!」という達成感を味わってきました。その達成感、成功体験こそが、人としての成長を後押しします。昔の人がやってきたように、鬼を上手に作って倒す。そんな「身近な鬼退治法」を身につけていってほしい。それが節分前に思うスイッチラボの願いです。

ラボのつぶやき

鬼に向かって思い切り豆をぶつけて鬼退治、も、節分の楽しさですが、もうひとつ忘れちゃならないのが「年の数だけ豆を食べる」という習慣です。これも諸説あるのですが、来年も健康で幸せに過ごせるようにとの祈りを込めて「年齢の数+1個」の豆を食べるのが良いと言われています。鬼をやっつける強い力を持つ豆を体の中に入れることで、自分もパワーアップ!するわけです。ちなみに、年齢はジャストの年齢でも、数え年でもどちらでもよいようです。

ラボメンバーのおうちでも、年中行事のひとつとして豆まきをやっていたそうで、子供の頃は豆をたくさん食べられるご両親がとてもうらやましかったとか。自分は子供なのですぐに食べ終わってしまうので、「早く年をとならないかな!」と思っていたとか。微笑ましいエピソードですね。でも、豆は消化に時間がかかるので、食べ過ぎには要注意ですよ(笑)