宝ものは君たちの中にある

スイッチラボの新春特別企画 後編

2024年1月15日掲載

こんにちは。MYスイッチの「スイッチラボ」です。今回も「新春特別企画 Part2」と題しまして、MYスイッチの芳賀司(はが つかさ)校長と、MYスイッチのロゴマークとホームページを作った造形作家&デザイナーの鈴木尚和(すずき ひさかず)先生の「新春トーク」の後編をお届けいたします。

前回の新春トークをスイッチラボ的に振り返る

今年は辰年。干支の中で唯一架空の生き物である辰は、特別なエネルギーを持っていると感じとっているお二人の対話の中から数々の名言、すなわち「スイッチ語録」が誕生しました。なかでも印象的だったのが、「今年は新たな挑戦をしてこそ吉」と、「先など見えない。見えないからこそ、その先にあるものを信じぬく」という言葉でした。

新しいこと、やったことのないことに挑むのは、誰もが怖いし不安です。それでも一歩を踏み出せるのは、「信じる」ものがあるから。自分を信じ、仲間を信じ、そばにいて見守ってくれる人々を信じる。スイッチラボ的には、この「挑戦」と「信じる」という2大キーワードが、2024年の核となるように感じています。

信じるものがあるから挑戦できる。挑戦し続けることができるのは、信じられる何かがあるから。「挑」と「信」は、どうやら表裏一体の関係にあるようです。

また、年頭にあたり、「2024年のテーマ」をお二人それぞれに発表いただきました。鈴木先生はアーティストらしく色で表現。人生のテーマカラーの「赤」に加え、今年のテーマカラーは「金」と「紫」です。

そしてMYスイッチの芳賀校長は、40年ぶりに筆を取り、「今年の漢字」として、『信』の一文字を揮毫きごうされました。

スイッチ語録にもあるように、まさに「人が言う」と書いて「信」という文字になるのですね。「信じているよ」「大丈夫だよ」・・・そんなふうに言葉にすることの大切さも、お二人のトークから改めて学びました。

後日談になりますが、スイッチラボは芳賀校長に「40年ぶりの書道」について伺ってみました。この1枚を書くのに、何度も挑戦されたのだとか。リハビリを兼ねて墨汁を使って書いた時と、一から墨をった時の感覚の違い、筆と半紙を別のものに変えたときの感触の違い、思うように筆が走らない時の気持ち、無心で筆を動かした膨大な時間・・・。なかなか満足いくものが書けず、費やした半紙の数も相当なものだったそうですが、こうして黙々と自分と向き合った時間は、まさに「挑戦」だったと振り返っていらっしゃいました。たかが1文字。されど1文字。安易には完成しない奥深さこそが「書道」そのものなのでしょう。

書道、弓道、柔道、剣道、合気道、茶道、華道、香道、そして神道。日本には「道」とつくものがとてもたくさんあります。縁があって今、日本に住んでいる私たち。どんな「道」でもいいから、実際に体験して欲しい。それがお二人共通した望みでもありました。

そして、日本文化としての「道」の話をきっかけに、話は海外で活躍する日本人の話へと展開していきます。では、後編もお楽しみください。

▼新春トーク前編はこちら
https://www.myswitch.co.jp/column/0008/

海外で闘える子供たちになって欲しい

鈴木「海外で活躍されている日本人も増えましたね。その代表格が、年末にドジャースへの移籍を表明し、話題になっている大谷選手だと思いますが、彼らに続け!と、海外を目指す若者が増えていくのでは?」

芳賀「MYスイッチでも『世界へ羽ばたいてほしい!』という思いで、子供たちと向き合っています。日本という小さな国の中だけではなく、広く、多様性に満ちた世界を舞台に活躍できる人材を育てたい。それが私たちの目指すところでもあります」

鈴木「子供は宝! 世界の宝! ですから(笑) 小さな頃から世界を視野に入れて育てるのは、とても大切なことだし、大変喜ばしいことなのですが、実はそこに大きな懸念というか、知ってほしいことがあるんです」

芳賀「知ってほしいこと、ですか? それはどういったことでしょう?」

鈴木「はい。私の体験に基づくものなのですが、良い機会なのでお話してもよいですか? ちょっと長くなりますが・・・」

芳賀「もちろんです。ぜひお聞きしたいです」

鈴木「ありがとうございます(笑) 先ほど、23歳の時にニューヨークに行ったという話をしましたが、交流を深めるために毎晩のように若手アーティストたちと食事をするわけです。作品の認知度を上げるのと同じくらい、人脈づくりが大切ですから」

鈴木「最初はフレンドリーかつ紳士的に話しているのですが、そのうちだんだんとアート談義が盛り上がっていきました。その中で『なぜ、お前ら日本人は、俺らのマネをするんだ?!』と強い口調で問いかけられたのです」

芳賀「え? マネ・・・ですか?」

鈴木「そう。いきなり言われても戸惑いますよね。最初は何を言われているのか、わけがわりませんでした。いや、別にマネ・・・してませんけど?・・・みたいな。その戸惑いを察したのか、『いいか、わからないなら教えてやる!』と、さらに踏み込んだ話をしてくれたのです。こう、物事の真髄をズバンとついてくるような」

芳賀「なんて言われたのですか? 実に興味深いです」

鈴木「俺らには歴史も伝統もないから、現代アートという今までにない新ジャンルを作り出した。ヨーロッパにも長い歴史と豊かな文化がある。俺らにとってはそれが歯ぎしりするほど悔しいのに、日本はヨーロッパよりもさらに古い歴史も、美しい伝統文化もあるじゃないか。なぜそれを、表現として持ってこないんだ。なぜ、日本人は日本の歴史から学ぼうとしないのか? 俺たちには理解できない。お前らはわかっちゃない。もったいないにもほどがある!と、酔った勢いもあり、めちゃくちゃ真剣に訴えてくるんです」

鈴木「さらにこうも言ってました。もし俺が日本に生まれていたら、絶対にそんな浅はかなことはしない。自国のことを調べ尽くして、技法を学び理解して、作品に活かしまくるね、と」

芳賀「なるほど・・・深いですね」

鈴木「ええ、その瞬間、雷に打たれたような衝撃というか、目からウロコがボロボロっと落ちました。これを青天の霹靂というのでしょうか。あー、本当だ、私は日本のこと、何にも知らずに、ここ、ニューヨークに来てしまったんだ(ガーン)・・・ですよ」

鈴木「確かに当時の私は、日本の歴史など興味もなかったし、知る気すらなかった。実際、アートも音楽も西洋文化に大いに感化されていた頃です。興味がないから勉強しない。勉強しないから薄っぺらな知識しかない。日本人なのに日本はどんな国なのか、違う国に生まれた人に説明もできなかったんですから」

鈴木「でも、外国人が日本人から聞きたいのは、まずは日本のこと。どんな歴史や文化があり、どんな感性をしているのかといったことです。そして自分自身のこと。つまり鈴木という人間はどんなルーツを持っているのか?ということです」

芳賀「ルーツ、ですか」

鈴木「そこにはいろんな国の人が集まっていて、イタリア、フランス、スペインなど、ヨーロッパ人が多かったのですが、みんな自国のことはしっかり語れるし、ご両親、ご先祖さまが何をやってきたか、ルーツをしっかりと語ることができるんです」

芳賀「日本ではよほど親しくならないとそこまでオープンにはしませんね。文化が違うと言ってしまえばそれまでですが、言われてみれば、どうやって育ってきたかということは、とても興味深いことではありますね」

鈴木「取りつくろって話せば話すほど、自分の浅はかさが露呈し・・・あの時は恥ずかしかったなぁ・・・。まぁ、今となってはその恥の体験こそが、自分の宝になっているのですが、その時ポンッ!と脳裏に浮かんだのが、祖母のあきれ顔でした」

祖母から教えてもらったこと

鈴木「取りつくろって話せば話すほど、自分の浅はかさが露呈し・・・あの時は恥ずかしかったなぁ・・・。まぁ、今となってはその恥の体験こそが、自分の宝になっているのですが、その時ポンッ!と脳裏に浮かんだのが、祖母のあきれ顔でした」

鈴木「祖母は三味線のお師匠さんで、子供の頃から『日本を学べ、歴史を学べ、さもないと恥をかくぞ』と、何度言われたことか。それこそ耳にタコができるほど、言われ続けてきました。明治生まれで外国になど行ったこともなかったと思いますが、孫がいつか、こういう目に合うことを予見していたのかもしれません」

芳賀「素晴らしいおばあさまですね。明治の女性はしっかりしていたと聞きますが、一本筋がビシッと入ってた方だったんですね」

鈴木「いつも粋に着物を着こなしていて、背筋がシャンと伸びた人でした。その時脳内に浮 かんだ祖母に『それみたことか!』と、何十年ぶりにお説教された気分でしたよ(笑)」

鈴木「ずっと三味線を教えてやるとも言われていたのに、その時は「そんな古臭いのはいらない!これからはロックだ!ギターだ!」と背中を向けてしまったことも、後悔のひとつです。素直に教えてもらっていればよかった・・・」

芳賀「そのアーティストたちの前で三味線を弾いたら、一気にヒーローだったかもしれませんね」

スイッチ語録

日本を学べ、歴史を学べ、さもないと恥をかく

鈴木「この経験があってから、いったん日本に帰って、自分のルーツを学び直すことにしました。再び戻ってくることを強く誓って、ケネディー空港を後にした日のことは、今でも忘れられません。その甲斐あってか、今では日本の伝統工芸のブランディングや、神社仏閣とのお仕事をいただくようになったのですが、知れば知るほど日本文化の奥深さには心が震えます」

鈴木「そして日本文化の造詣がある程度深まったからなのか、今では海外での仕事の話も増えています。意地を張ってニューヨークに居続けたなら、こういう展開にはならなかったと思います。急がば回れといいますか、思い切って原点回帰したからこそ、今があるのだと思っています」

芳賀「原点回帰。ご自身の経験だけあって、説得力が違います。私も海外視察などの経験がありますが、外に出て初めて自分の国の大切さを知るという感覚、とてもよくわかります」

鈴木「大切なことはいつも足元にあるということなのでしょう」

スイッチ語録

大切なことは足元にある まずいと思ったら原点回帰

世界に出るために必要なこと

鈴木「ですから、MYスイッチさんでも、世界に羽ばたくための基礎づくり、土台づくりを丁寧にやってほしい。これが私の切なる願いでもあります」

鈴木「海外で活躍するなら、まずは日本を知ること。日本がどれだけ特殊な国で、どれだけ素晴らしくて、どれだけ貴重な存在なのかを、子供の頃から知っておくことがどれほど大切か。実際に恥ずかしい思いを経験した私だからこそ、声を大にして伝えたいことのひとつです」

芳賀「大いに同感いたします。だからこそ『道』に触れることが必要なのですね」

鈴木「おっしゃるとおり! 自国の神話や歴史を学ばなくなった民族はいつか滅びるという言葉もあるように、まずは自分の国の歴史を学び、文化に触れ、日本ってかっこいい!と子供たちが素直に思えるように、いろいろなことを伝えていきたいです」

鈴木「私も芳賀校長も『先生』と呼ばれて久しいと思いますが、先生とは『先に生まれた者』です。ちょっと先に生まれて、いろいろ経験したことを、後から生まれてきた人たちに伝えていく。この『水先案内人』となるのが、私たち先生と呼ばれる者の務めだと思うのです」

スイッチ語録

『先生』は先に生まれた者。後に続く人を導く水先案内人となれ

芳賀「ありがとうございます。鈴木先生とこうしてゆっくりとお話しができたおかげで、新年の良いスタートが切れました。このスイッチが入った状態をキープして、スタッフとともに力を合わせて山を登り、目標を達成するべく挑戦し続けます」

鈴木「芳賀校長の信念と行動力を信じております。本年もよろしくお願いします」

芳賀「本年もよろしくお願い申し上げます。長時間のお付き合い、ありがとうございました」

<完>

ラボのつぶやき

2回にわたってお届けした芳賀校長と鈴木先生の新春トーク、お楽しみいただけたでしょうか? 実は横道に逸れた話の中にも面白い話がたくさんあったのですが、それらはすべてスイッチラボの研究テーマとして、深掘りの対象にしていきたいと思います。来月からはまた通常のコラム形式に戻ります。よろしくお願いいたします。